【信託がつなぐ想い #03】 三菱UFJ信託銀行 プロフェッショナル対談シリーズ 「残していくもの、伝えていくこと」 「人生100年時代」を、「らしく」生きていくために。 【信託がつなぐ想い #03】 三菱UFJ信託銀行 プロフェッショナル対談シリーズ 「残していくもの、伝えていくこと」 「人生100年時代」を、「らしく」生きていくために。

三菱UFJ信託銀行 MUFG相続研究所所長 小谷亨一 KOTANI KOUICHI × ヴァイオリニスト 千住真理子 SENJU MARIKO 三菱UFJ信託銀行 MUFG相続研究所所長 小谷亨一 KOTANI KOUICHI × ヴァイオリニスト 千住真理子 SENJU MARIKO

【信託がつなぐ想い #03】 三菱UFJ信託銀行 プロフェッショナル対談シリーズ 「残していくもの、伝えていくこと」 「人生100年時代」を、「らしく」生きていくために。三菱UFJ信託銀行 MUFG相続研究所所長 小谷亨一 KOTANI KOUICHI × ヴァイオリニスト 千住真理子 SENJU MARIKO

「クラシックの演奏家として何百年も前の音楽を現代の聴き手にいかに伝えるか」
「高齢期の親とどのように向き合うか」
ヴァイオリニスト・千住真理子さんとの対談を通じて、「相続」や「文化遺産の継承」において大切なこと、「人生100年時代」の捉え方や生き方について考えていきます。

いつも一番いい状態でステージに立てるように、
本番前の“ハチミツ”と“横臥”は欠かせません。

小谷:実は先日、千住さんのリサイタルにお伺いしました。演奏はもちろん、ホール内も非常に和気藹々とした雰囲気で、大変素晴らしかったです。それもあって、本日千住さんとお会いするのを楽しみにしておりました。ぜひとも、いろいろなお話をお伺いさせていただけたらと思います。

千住:それは、ありがとうございます。私も楽しみです。

小谷:まずは、ヴァイオリニストとしての日常と言いますか、職業柄、日ごろから大切にされているルーティン(日課)などもいろいろおありかなと思いまして、そのあたりからお聞かせいただけますか?

千住:私の場合は、ルーティンが数え切れないほどあります。時間軸でお話しすると、朝起きて朝食代わりに生卵を2~3個、飲むんですね。そして、ウォーキングをしながら、その日の過ごし方を頭の中でいろいろ考えます。自宅で過ごす日はほぼ1日中、ヴァイオリンの練習です。練習と言っても、音の出し方を自分で研究したり、ストラディヴァリウスのより良い音を模索したりという作業がとても楽しいので、私の中では楽器と一緒に遊んでいるような感覚です(笑)。とはいえ、根を詰めて弾いていると体が凝るので、ジムに行ってプールで1kmくらい泳ぎます。「クロール→平泳ぎ→背泳ぎ→平泳ぎ」というのを1セットにして、何セットか繰り返す感じですね。

小谷:ずいぶんと泳がれるのですね。千住さんは「音」をお仕事にされていますけれど、水の中は、音という観点からすると独特の感覚があるように思います。

千住:確かに、気分転換に音のない世界を求めているのかもしれませんね。自分が泳ぐ音しか聞こえない、あの何とも言えない感覚は、不思議と心が安らぎます。悩みごとや心配ごとが水と一緒に流されていくような気持ちになるんです。25m、50m、75m、100m……と泳いでいるうちに心が浄化され、「家に帰ったらこういう練習をしてみよう!」と意欲が湧いてきます。水泳は欠かせないルーティンですね。

小谷:先ほど生卵のお話をされましたが、千住さんは食べるものにも気を配っていらっしゃると伺っています。リサイタルではハチミツの話をなさっていましたね。

千住:そうです。私にとってハチミツは、演奏上なくてはならないアイテムです。口にするのは本番の、ステージに出る直前なんですが、これも生卵と同様に“飲む”んです。スプーンでなめる程度ではなく、チューブタイプのハチミツを高いところからぎゅっと絞ってごくごくっと。もちろん容器に口は付けませんけれど、周囲のスタッフの方々は一瞬ぎょっとされるみたいで(笑)。

小谷:リサイタルの時も「あまり真似はしないでくださいね」とおっしゃっていましたね。

千住:はい。お客さまによっては、糖分の過剰摂取は体に良くない場合がありますから。私は今のところ血液検査の数値も問題ないので、摂取した分はしっかり消費しているのではないかと思います。むしろ、大量のハチミツ効果で、心身のバランスも非常にいい状態でステージに立てています。

小谷:受け売りの話ですが、ハチミツは「世界最古の甘味であり、健康食品」と言われているようですね。ギリシャ神話や『日本書紀』にも出てくるくらいですから、人類は何千年もの間ハチミツを食べ続けてきたわけです。ハチミツのメリットとして「急速チャージ」と言いますか、短時間でさっと栄養吸収ができる点が挙げられていたので、千住さんはまさにそれを体現する好例ではないかと思った次第です。

千住:まぁ、それはとても良いお話をお伺いできてうれしいです。ステージに立つことは大変な緊張感を伴いますが、「今日は疲れているから止めよう」というわけにはいきませんから、いつも一番良い状態で演奏ができるよう精一杯の準備をしています。とはいえ、体もそうですが、脳が疲れているということが結構あるんですね。私の場合は、そういう時にハチミツがすごく助けになります。

小谷:千住さんはご著書の中で、日本画家である長兄の博さんと、作曲家である次兄の明さんのことを、自分の一番調子のいい時に作品を仕上げることができてずるい、とお書きになっていましたね。演奏家の方は水面下でどんなに必死で練習したとしても、ステージで最高の演奏ができるとは限らない。だから、お兄さまたちはずるいと。今のお話を伺って、そのエピソードを思い出しました。

千住:おっしゃる通りです。そういう思いがあるので、先の北京冬季五輪の選手の方々には思い切り感情移入しました。皆さん、オリンピックのために4年間必死に努力されてきたわけですが、試合当日のプレーする瞬間に最高の力が出せなければ報われない。それは演奏家も全く一緒だなと考えながら、テレビの画面から目を離すことができませんでした。

小谷:よく似たお立場だからこそ、選手の方々に共感されたわけですね。演奏家にとって、ステージは五輪同様、特別な場所ですよね。ステージに上がる前にスイッチを切り替える方法もあるのでしょうか?

千住:はい、いろいろやっております(笑)。ハチミツもその1つです。私の場合、効果的なのは楽屋の中を暗くして、ソファなどに横になることです。そして、雑念が浮かぶたびに払っていき、頭の中を空っぽにするという作業を30分ほど続けます。起き上がって電気を点けた時は大変頭がすっきりした状態で、ステージに集中しやすくなっていますね。

小谷:なるほど。実は私も、職業柄必ずやっているルーティンがあるんですよ。

千住:ぜひ、お伺いしたいです。

小谷:私は相続に関わる仕事をしておりますが、相続と言うと、「準備が大事だというのは重々分かるけれど、まぁ、そのうちやればいいでしょ」という方が多いんです。そこで、楽しく気軽に準備できる方法はないものかと日々研究しておりまして。最近はまっているのがスマートフォンの健康アプリです。その日歩いた歩数や食事の記録、脳トレなどいろいろあるのですが、その中で、家族とつながる機能のあるものを幾つか見つけたんです。例えば、アルバムに写真をアップしたら家族のコメントが付けられるようになっているとか、シークレット機能があって、自分の財産について記録しておいて認知機能が低下したら家族に公開するようにしておけるとか。先日は法事に行った時に叔父たちが曾祖父の話をしておりまして、私も初めて耳にしたので子どもにも教えてやろうと帰りの車中で家族向けのメッセージに入れておきました。その時はスルーされてしまいましたが、いつかは興味を持って読んでくれるかもしれず、そういう記録を残しておくことは大切だと思うんです。

千住:そうですね。私も日記を付けておりますので、何気ない日々の記録が後で役立ったということがよくあります。

対談風景1

前の所有者の遺言がもたらした
ストラディヴァリウスとの運命の出逢い。

小谷:千住さんは以前、「苦手な曲は好きなところを見つけるようにして練習するとうまく弾けるようになる」とおっしゃっていましたが、それと同じです。こういうアプリを面白がって使っていると、自然と相続のことにも目が向くようになるんじゃないかな、と思いまして。ところで、千住さんの生活の中心となっているのは、実は愛器のストラディヴァリウス「デュランティ」なのだそうですね。20年前の2002年に大変ドラマチックな出逢いをなさって、手に入れたものの自分のものとして弾きこなすまでに相当時間がかかったとお話しされています。今では千住さんの代名詞となった観もあるデュランティについてもぜひ、お聞かせください。

千住:ヴァイオリンの名器として真っ先に名前が挙がるのがストラディヴァリウスですが、実は非常に不思議な楽器なんです。「どうしても欲しい」と切望する人の元には来てくれず、逆に「私は不要です」と思っている人のところに来てしまうことがある。私は後者です。それまで使っていた楽器と一生添い遂げようと思っていたので、スイスから突然電話があって「見せたいストラディヴァリウスがある」と言われた時も、「見たくありません」と申し上げました。見て、どうしても欲しくなってしまったら困りますから。それなのに、日本まで持ってきてくださったんです。案の定、一度見て手に取ったら、もう手放せなくなりました。この楽器のために全てを捧げてもいいと思うくらい、魅了されてしまったんです。

小谷:大変ドラマチックなお話ですが、それだけでは終わらないわけですね。

千住:はい。入手した後はこの楽器を弾きこなすにはどうすればいいかと考え、それまで培ってきた技術を全てリセットし、全身全霊をかけて、一から練習をスタートしました。「フィンガリング(運指法)」も、「ボウイング(運弓法)」も、デュランティに合わせて一から考え直しました。曲目も、楽譜を総入れ替えするくらい新しいものにして。それで毎日10時間くらいひたすら練習を続け、体がぼろぼろになった時、ようやくデュランティが私の考える通りの美しい音を響かせてくれるようになったんです。ストラディヴァリウスが初めから思い通りにならないのはクラシックの世界では有名な話で、こうした作業を音楽家は「じゃじゃ馬ならし」と表現します。ストラディヴァリウスとの戦いに負けて、ヴァイオリンが弾けなくなったヴァイオリニストもいるほどです。でも、私は勝つというより、仲良くなりたいと思ったんです。それで、先ほどお話ししたように体を鍛えたり、食事に気を配ったりしながら、デュランティがやって来て7~8年目にようやく仲良くなれた、そういう感じです。

小谷:すごいお話ですね。千住さんは相当な覚悟を持ってデュランティを迎えられた。だから、演奏だけでなく、デュランティのコンディションを保つことにも大変心を砕いていらっしゃるわけですね。

千住:そうですね。ストラディヴァリウスの中にはいろいろな歴史を持つ名器がありますが、デュランティは最初の持ち主が当時のローマ法王(クレメント14世)だったんです。それもあって、フランス貴族のデュランティ家に渡った後は、約200年間、隠されるようにして保管されてきました。その後はスイスの富豪が80年ほど所有し、縁あって私のところにやって来たわけですが、それまでは公の場で演奏された形跡がほとんどありません。結果として、300年以上前のオリジナルの状態で、表面に塗ったニスもそのままで、私の元に届いたのです。本来であれば、こうした楽器は美術館で収蔵するとか、欧州なら国家が保管します。それほど歴史的価値の高い楽器なので、日常的な温度や湿度の管理、ステージで演奏する際の温度や湿度の管理など、ちょっとした変化を見逃さずにケアしていくには大変な労力を要します。

千住さんの愛器ストラディヴァリウス「デュランティ」

小谷:日本の四季の移り変わりもいいのか悪いのか、という話ですね。デュランティが千住さんの手に渡ったエピソードで私が職業柄興味を引かれたのが、3番目の所有者だったスイスの富豪の方が「この楽器はずっと演奏されていなかったから、ヴァイオリニストに引き継いでほしい」という遺言を残されていたということです。千住さんとデュランティの運命的な出逢いは、まさにその遺言があったからこそ実現したわけですよね。欧米では、遺言を使って自分の意思を明確にした上で資産を継承していく文化が根付いている印象があります。実際、スイスを含むドイツ圏では50%くらいの方が遺言を活用されています。これに対し、日本ではせいぜい10%程度。「以心伝心」と言うと聞こえはいいのですが、「家族なんだから、分かるよね」と曖昧なまま亡くなってしまう方が多いんです。とはいえ、最近のアンケートなどを見ますと、ご自分の財産を社会貢献に役立てたいといった理由で遺言を活用したいという方が増えてきており、デュランティのエピソードは大変いいモデルケースになると思いました。

千住:実は私も、今年初めて遺言を書いたんです。小谷さんのおっしゃる通り、デュランティは遺言によって私の元に来たわけですから、私もこの楽器を守るためには遺言によってしっかり自分の意思を書き残しておかないといけないなと思いまして。今は元気でも、人間はいつ、何があるか分かりませんでしょう? ですから、私に万が一のことがあった場合、デュランティをこうしてほしいという今の私の気持ちをつづって、公正証書として保管しています。

小谷:それは素晴らしいことですね。「今の私の気持ち」とおっしゃいましたが、遺言は一度書いたら終わりではなく書き換えることができますから、お気持ちが変わられたら書き換えられたらいいと思います。私のお客さまにも、毎年お誕生日に書き換えられている方がいらっしゃいます。書き換えるのがマストではなく、書き換える必要が生じたら書き換えるというふうに、そこは気楽にお考えになって利用されるのがよろしいでしょう。

千住:今回初めて遺言というものを書いたので、小谷さんから書き換えられると伺って、ちょっとほっとしました。ここはもっと練りたいという部分や、こうした方が良いかもと思った部分は後で書き換えればいいのですものね。

対談風景2

遺言は自分が不在の相続の場で
家族に「心の響きを伝える」手段。

小谷:おっしゃる通りで、遺言の使い方としてはそれが一番よろしいのではないでしょうか。さて、次は私自身も大変興味のある、千住さんの「音とのコミュニケーション」についてお伺いしたいと思います。特にクラシックの場合は作曲家が何百年も前の方々で、作曲家の曲に込めた思いをいかに伝えるかに腐心されることもあるかと思います。ご著書の中で「魂を入れて音を出す」とお書きになっていましたが、ソリストとして、どのようなお気持ちでステージに立っていらっしゃるのでしょう?

千住:そうですね。私は、「喜怒哀楽」の感情が音になる、と考えています。J.S.バッハやフランク、ベートーヴェン、ブラームス、フォーレ、ドビュッシー……そうした素晴らしい作曲家たちの作品の中には喜怒哀楽の感情があって、私は演奏しながらその喜怒哀楽を感じ取ります。弾いている時に何か悲しい気持ちになる。この悲しさは何だろうと思うと、曲によって物寂しさとか、温かみのある悲しさ、冷徹な哀しさ、狂おしいばかりの悲しさ……といろいろな悲しさの表情があるわけです。そうした喜怒哀楽の微妙なニュアンスを、演奏しながら作品の中から吸い上げていく。そして、自分なりに咀嚼した形で表現するわけですが、その時点では音はまだ完成品ではありません。それを客席のお客さまと呼吸をするようにしてやり取りするんです。お客さまはすっと受け入れてくださる時もあれば、受け入れていただけない時ももちろんあります。つまり、音楽は一方的に演奏するものではなく、お客さまとのやり取りの中から生まれ、それによって偉大な作曲家たちの音楽がその日のステージに蘇るわけです。ですから、私が一番心を砕いておりますのが、お客さまとのコミュニケーションです。お客さまと心の会話ができれば、J.S.バッハであろうがベートーヴェンであろうが、私の中にある音楽をその日のステージで全て出すことができる。それが一番のポイントですね。

小谷:なるほど。千住さんはそのために音響の研究もなさっていたそうですね。

千住:はい。大学で「方法論の分析による演奏の可能性」を卒論のテーマに選びまして、その関係で、東京大学生産技術研究所の方々と何年間かホールの音響についての研究を行いました。ホールというのはそれ自体が楽器のようなもので、お客さまが中に入って楽器の良さを皆で味わう、それがライブの良さなんですね。ですから、演奏家としましてはホールという楽器をいかにしてうまく鳴らせるかを考えることが大変重要になります。実際、演奏時に立つ位置が床の板一枚違うだけでも、響きのニュアンスが全然変わってしまうんですよ。その日の温度や湿度によっても違います。私のデュランティとホールとのバランスというのがまずあって、そこにお客さまが入られて、お客さまとの心のコミュニケーションでまたバランスが生まれる。それは、その日によって違いますから、まさに「一期一会」ですよね。お客さまとの出逢いも一期一会ですし、本当にライブは素晴らしいなと思いますね。

小谷:千住さんが年間何十回もの演奏会に出演される原動力は、まさにそこにあるわけですね。その多忙なスケジュールの合間を縫って、病院やホスピスなどでのボランティア活動にも励んでおられます。ホールではない施設で演奏する際も、音のコミュニケーションにはこだわりをお持ちで、あるボランティアでの演奏会に同席されたお母さまが千住さんの演奏を「世にも美しい天に舞うような音が聴こえた」と評していらしたのを記憶しています。

千住:ボランティアで演奏する病院や施設でも、壁や天井の材質ですとか凹凸の具合、床の材質などによって、その建物独特の不思議な音響が生まれるものなんです。聴いてくださる方のお召し物によっても、音の感じは変わります。ただ、そうした様々な要素を踏まえた環境の中でも必ず一番良い「支点」というのがありまして、そこを探し出してそこで演奏すれば、「最高の音」をお届けすることができるわけです。最高の音、そして、その場所に集まってくださった方々とその思い。そうしたものを全て足し算していくと、その場所でその日その時しか出せない音、もう2度と聴けない音がそこに生まれるわけで、それこそ、演奏家冥利に尽きる瞬間ですね。

小谷:クラシックは非常にデリケートなものなのですね。でも、その場にいられた人は幸せです。先の千住さんのコンサートでモンティの『チャールダーシュ』を演奏された時、客席が一体となって音に引き込まれていたのは、まさにそういう感じでしたね。

千住:おっしゃる通りです。言葉にはし難い人間同士のテレパシーみたいなものが働いて、演奏家と聴衆が一体になるような瞬間があるのでしょうね。それは、お客さまが100人であろうと1000人であろうと関係なく、音の中に大きなうねりのようなものが生まれて、私自身、「本当に私が弾いているの?」と思うような音をいつの間にか出していたこともありました。

小谷:今のお話、相続の現場にも通じるところがあるように思います。相続で何が一番困るかと言うと、ある人の相続が発生した時にその人はいないということです。「亡くなる」という意味ではなくて「その人が存在しないこと」、これが問題なんです。なぜなら、残された家族に対し、きちんと説明できる人がいないから。先ほど音のコミュニケーションのお話をされましたが、私は、「心の響きをどう伝えるか」が遺言だと思うんですね。ご自分がその場にいられないからこそ、代わりに自分の気持ちをちゃんと伝えるものを残しておいて、いざという時にはそれを響かせる。それが大事なのではないかと思いますね。

千住:はい。私も子どもの頃に同居していた祖父母、父母が亡くなり、大切な人たちを失って初めて、その人たちの思いを何とかして手繰り寄せようとする自分がいることに気づきました。生前にもっと話を聴いておけば良かったという後悔があり、一生懸命、手帳や書簡を探したりしました。それもあって、私自身が最近遺言を書いた時には、心の通っていない上辺だけの言葉にならないよう気を付けながら、自分の思いを率直にしたためたつもりです。

対談風景3

亡くなる前の母と交わした手紙をまとめた本は、
私にとって大切な母の遺言集になりました。

小谷:相続の現場では、「思いを伝える」ことが大変重要になります。遺言を書かれるお客さまに対して私がよく申し上げるのは、「付言事項」として、残された家族への感謝の言葉やこうしてほしいという要望をぜひとも書いておいてくださいね、ということです。遺言に書かれた内容とは直接関係がなくても、そうした付言事項が潤滑油となり、相続人の方々が「そうか、遺言書をしっかり読まないと」という前向きな気持ちになるわけです。

千住:まさに、リサイタルでお客さまが私の出す音を受け入れてくださるような感じですね。

小谷:おっしゃる通りです。実は私自身、10年ほど前に父を突然亡くして、千住さんと同じような思いをしたことがあります。父は手術を受けて、担当医から「あと10年は大丈夫ですよ」と言われたのですが、その3日後に急死したんです。亡くなる前日に見舞った時に「今度、皆で一緒に食事に行こう」と話していた父の笑顔だけが強く印象に残っているという、宙ぶらりんな思いを抱えておりまして。だからこそ、「思いを伝える」ことの重要性をひしひしと感じるわけです。千住さんやお母さまのご著書を拝読しても、千住家は愛情にあふれた、絆の強いご家族という印象がありますが、ご両親がお子さんたちに遺志として残されたものはありましたか? 差し支えのない範囲で、お聞かせいただけると幸いです。

千住:我が家の場合は、あまり一般的ではないかもしれません。父は治るはずの病気が治らず衰弱して亡くなってしまったため、私たちには「頑張れ」と言ってくれたくらいで、最期の言葉らしい言葉は残していません。一方、母はいろいろ話してくれたので父のようなことはなかったのですが、最期に残した言葉の中に強烈なものがありまして。「あなたたちはまだまだ。今からなんだから頑張れ」という言葉と、もう1つ、私たち兄妹に対して、「あなたたち3人は、これから先は絶対にけんかをしてはいけない」と言い残したのです。

小谷:それは重い言葉ですね。

千住:はい、大変重いです。気心の知れた兄妹ですから、それまで多少はけんかをすることもありました。しかし、母の最期の言葉となるとそれを守らないわけにいかず、今は3人で互いに労わり合って、けんかをしないようにしています。そういう本当に心にぐさっと来るような言葉は強いなぁと思います。

小谷:3人のお子さんのことをしっかり見ていて、そういう言葉を残されたお母さまは素晴らしいですね。私は、相続は「家族の結び付き」が試される場ではないかと思っています。残された家族が困った時に助け合えるか、互いを思いやることができるかというのは大変重要で、先ほども申し上げたように相続はご本人が不在なので、それゆえに残された家族の思いが行き違って、結果として“争続”に発展してしまうことがよくあるんです。だからこそ、伝えられる時に思いを伝えておくことが本当に大切です。千住さんは亡くなる前のお母さまとの書簡集(『命の往復書簡2011~2013 母のがん、心臓病を乗り越えて』文藝春秋)を出版していらっしゃいますが、拝読して、本当に素晴らしい内容だと思いました。特に、書簡のやり取りを通して親子の間の誤解がどんどん解けていくような展開が。ああいう経験は、なかなか現実にはできないものです。

千住:今は私もそう思いますね。初めにお話があった時、母は「照れくさくて、とんでもないわ」と言っていました。私も、「今さら母と文通めいたことをするなんて嫌だ、恥ずかしい」という思いがあったのですが、結果的に、私にとって本当に大切な母の遺言集になりました。親子というのは一番分かり合える存在であるはずが、実は一番分かり合っていなかったことを、お互いに書けば書くほど思い知らされたという感じでしょうか。あの書簡集を通して、母のことを初めて1人の人間として見られるようになりました。今はこうして私たちの母親になっているけれども、この人にはこの人なりの悩みがあり、心細い思いやつらい思いもしてきただろうし、他人に言えないようなこともあったのかもしれない。そう思うと、母が全く違う人間に見えてきて。「母親」でなく「1人の年老いた女性」と思うと、不思議と思いやりや慈しみの感情が湧いてくるんです。それは、私にとっては大変良いことでした。

小谷:そうですね。子どもの中では、親は、いつになっても自分が幼いころの親のままであることが多いんですよ。ですから、親も着実に年齢を重ねていると気づくことが大事だという話をよくします。例えば、別居している親の家に行った時、きれい好きだったはずなのに庭が汚れていたり、家の中にお掃除ロボットがあったりしたら、「掃除が負担になってきたのかもしれないな」と考えた方がいいかもしれませんよ、と。ただ、言葉のやり取りだけでは誤解を生む可能性もあるので、文章にして残すことが大変重要です。加えて、千住さんが「文章だと嘘が書けない」と書いていらっしゃったように、より率直な思いをつづることができる。そういう点でも、あの書簡集は本当によくできていて素晴らしいなと思いますね。

千住:ありがとうございます。

対談風景4

コロナ禍で再認識したコミュニケーションの重要性、
聴き手の心を元気にする楽曲を届けたい。

小谷:そろそろお時間も迫ってきましたので、最後のご質問に移りたいと思います。千住さんがデビュー45周年を迎えた2020年、ご承知の通り、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が始まりました。演奏家の方々はコロナ禍で思うようにリサイタルが開けないなど、大変な思いをされたことと推察します。そうした中で千住さんがお考えになったことや、コロナ禍で新たに始めたことなどをお教えください。

千住:一番大きな変化は、携帯電話をガラケーからスマートフォン(スマホ)に変えたことでしょうか。長い間ガラケー派だったのですが、ちょうどウイルスの感染拡大が始まった頃、親友に無理やりスマホ売り場に連れて行かれて、「今からはスマホが絶対に必要になるから」と半ば強引に変更させられました。最初は戸惑いましたが、今ではInstagram(インスタグラム)などを使って楽しくやっております。演奏会ができない分、配信で日本国内だけでなく海外の方にも私の演奏を聴いていただける。そういう意味では、便利な世の中になったものだと思います。一方で、改めて、人と直接コミュニケーションを取ることの大切さを再認識しましたね。本日こうして小谷さんとお互いの目を見てお話ができる、それがいかに素晴らしいことなのか、人間としての喜びであるのかを切に感じます。演奏会でも、今はお客さまが皆マスクをしていらっしゃいますけれど、目が笑っているのが分かったり、ひと際大きな拍手をしてくださったりする。そうした中で、デュランティの最高の音色を客席にお届けできる。こういう時代だからこそ、音でのコミュニケーションがいかにかけがえのないものであるかを痛感しています。

小谷:そうですね。私は千住さんのインスタグラムでヴァイオリンの小物紹介の記事を楽しく拝見しておりまして、インスタグラムとリアルな演奏会、言い換えるならデジタルとアナログとをバランス良くやっていかれることで相乗効果が生まれていくように思います。ちなみに、こういう困難な時代だからこそ、千住さんの演奏を聴かれる方に届けたい曲はありますか?

千住:ヴァイオリンはよく、「人間の声に一番近い楽器」と言われます。中でもデュランティの音には、発想記号で言うと「cantabile(カンタービレ)」、声を高らかにして歌っているようなイメージを私は持っています。ですから、そうしたデュランティの特徴を生かした「歌う曲」、聴き手の心を元気にするような曲を、皆さまにもっとお届けできればいいなと思いますね。

小谷:なるほど。千住さんは「生涯ヴァイオリニストでいたい」とおっしゃっています。日本には室井摩耶子さんという今年101歳になられる現役ピアニストもいらっしゃいますから、そういう先輩方を目指して、今後もこれまで以上にご活躍いただきたいと思います。本日は長時間に渡り、ありがとうございました。

千住:ありがとうございました。

(※この記事は2022年2月に行った対談をもとに作成しております)

対談風景5

プロデュース:松竹株式会社 開発企画部

Profile

ヴァイオリニスト

千住 真理子

12歳でデビュー。日本音楽コンクール最年少優勝はじめ数々のコンクールで入賞を果たす。慶應義塾大学卒業後国内外で本格的に活動。2002年秋、ストラディヴァリウス“デュランティ”と運命的な出会いを果たし話題となる。コンサート活動以外にも、テレビ、ラジオなどの出演や執筆活動、社会活動など、多岐に亘り活躍中。

三菱UFJ信託銀行 MUFG相続研究所所長

小谷 亨一

三菱UFJ信託銀行 トラストファイナンシャルプランナー。1級ファイナンシャルプランニング技能士、宅地建物取引士。2012年にリテール受託業務部長に就任し、遺言の企画・審査・執行業務などに従事。現在、相続・不動産のエキスパートとしてセミナー講師を務める傍らメディアでも活躍している。

MUFG相続研究所
人生100年時代における社会課題(認知機能低下時の資産管理や資産承継等)の領域に関し、MUFGの蓄積してきた知見を生かしながら調査・研究を行う。2020年2月設立。

※MUFG相続研究所は、三菱UFJ信託銀行が、資産管理・資産承継に関する調査・研究・レポート作成等の業務を対外的に行う際の呼称です。