【信託がつなぐ想い #04】 三菱UFJ信託銀行 プロフェッショナル対談シリーズ 「残していくもの、伝えていくこと」 「人生100年時代」を、「らしく」生きていくために。 【信託がつなぐ想い #04】 三菱UFJ信託銀行 プロフェッショナル対談シリーズ 「残していくもの、伝えていくこと」 「人生100年時代」を、「らしく」生きていくために。

三菱UFJ信託銀行 MUFG相続研究所所長 小谷亨一 KOTANI KOUICHI × 陶芸家 十五代酒井田柿右衛門 SAKAIDA KAKIEMON 15 三菱UFJ信託銀行 MUFG相続研究所所長 小谷亨一 KOTANI KOUICHI × 陶芸家 十五代酒井田柿右衛門 SAKAIDA KAKIEMON 15

【信託がつなぐ想い #04】 三菱UFJ信託銀行 プロフェッショナル対談シリーズ 「残していくもの、伝えていくこと」 「人生100年時代」を、「らしく」生きていくために。三菱UFJ信託銀行 MUFG相続研究所所長 小谷亨一 KOTANI KOUICHI × 陶芸家 十五代酒井田柿右衛門 SAKAIDA KAKIEMON 15

「伝統工芸の継承者として高い技術をいかに次世代に引き継ぐか」
「変化の多い世の中で、400年続く工房をどう舵取りしていくか」
陶芸家・十五代酒井田柿右衛門さんとの対談を通じて、「相続」や「伝統技術の継承」において大切なこと、「人生100年時代」を自分らしく生きることについて考えていきます。

対談風景1

400年続く「分業制による作陶」、
それが柿右衛門窯の大きな特徴です。

小谷:お目にかかれて光栄です。本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、「柿右衛門窯」は江戸時代から400年もの間続いていらっしゃるのだそうですね。やきものの世界で有名な「柿右衛門様式」は、中国で生まれた「上絵付」という技術をベースに、初代柿右衛門さんが独自の技法を確立されたものと伺っております。大きな特徴としては3つあり、1つ目が「赤絵」と呼ばれる華麗な絵柄、2つ目がその赤絵がよく映える乳白色の地肌「濁手」、3つ目が「余白の美」と申しますか、大きく余白を取った構図でしょうか。まずは、そうした柿右衛門窯や柿右衛門様式のことから、お話しいただけたらと思います。

柿右衛門:中国に「祥瑞(しょんずい)」というやきものがあるのですが、初代の頃はその祥瑞を思わせる赤を多用した色絵磁器だったようです。しかし、その後30年ほどの間に、注文主の意向や当時の流行によってオランダや日本の昔ながらの絵の影響を受けた作風へと変わり、中世の欧州で人気を博した柿右衛門様式が生まれたのです。

小谷:なるほど。柿右衛門窯は「細工場」「絵書座」「仕上場」など作業工程によって部屋が分かれていて、それぞれに専門の職人さんがいらっしゃるのでしたね。最初の頃から「チーム柿右衛門」として稼働していたのでしょうか?

柿右衛門:その通りです。初代柿右衛門が赤絵の技術を開発した頃から分業制を採っていて、柿右衛門をサポートする職人がたくさんおりました。柿右衛門はいわば、チーム柿右衛門の代表者のようなものです。そのスタイルを400年続けてきているというのが、私どもの窯元の大きな特徴ですね。

小谷:それにしても、400年も続いていらっしゃるのは素晴らしいことです。一般的な企業と単純に比較はできないと思いますが、通常、企業の寿命は30年と言われ、デジタル時代の今はさらに短くなっています。100年以上続く企業は国内で4万社に満たず、企業全体に占める比率は0.1%未満です。400年というのは、やはり、技術力であるとか、代々の柿右衛門さんの時代を読む力があってこそと思います。柿右衛門さんは、伝統技術の承継について、どのようにお考えでしょうか?

柿右衛門:私どもの窯はずっと分業制で仕事をしてきましたから、私が1人で何もかもを抱え込む必要はなく、技術的な部分は各部門の職人に任せればいいと考えています。大事なのは工房を高いレベルで維持していくことです。そのためには職人の世代交代を円滑にし、伝統的な職人技をしっかり承継していく必要があります。厄介なのは、時代や生活環境の変化により、昔ながらのやり方を残していくのが難しくなってきたことです。例えば、昔の職人は普段から筆を使っていましたが、今は日常生活でほとんど筆を使わない職人が絵付けをしています。

小谷:やきものを作る材料も、昔と同じものを入手するのが難しくなっていると伺いました。例えば色絵に使う青い顔料の呉須は、昔は中国産の天然呉須を使っていたのが、今はほとんど合成です。

柿右衛門:私どももなるべく昔と同じ材料を使いたいのですが、需要と供給の関係から入手が困難になったものもあります。一例が釉薬の原料の柞灰(いすばい)です。木自体はあるのですが、そこから灰を作る職人がいなくなってしまって……。柿右衛門窯の職人ならともかく、材料に関わる職人さんとなると、さすがにうちの需要だけでは支え切れません。このように、どうしても残せない、知らない間に消えてしまう技術もあります。とはいえ、見方を変えれば時代に求められていないのかもしれず、それはそれでやむを得ないと思うようにしています。

対談風景2

「大切なもの」を承継していくためには、
家族が同じ方向を向いていることが重要です。

小谷:おっしゃる通り、長く続けていくということは、そうした取捨選択の判断を行いながら、大切なものを残していくことなのでしょうね。私が担当する相続の分野でも、大切なものをどう残すかが非常に重要です。今の相続は財産をどう分けるかという遺産相続が中心です。しかし、少し前までは家をどのように引き継ぐかという家督相続という考え方もありました。現代においても、経営者や柿右衛門さんのような伝統技術の承継者だと、守るべきものがあり、それをご家族も一緒になって大切にされているという意味で、この家督相続に近いのではないかと思います。お客さまから財産をどう分配したらいいかと相談を受けた時、私が真っ先にお伺いするのが「一番大事なものは何ですか?」ということです。次が「優先的に残したいものはありますか?」で、その次が「どなたかに優先的に分配した場合に、それによって損をしてしまう方がいるとしたら、その方にはどう説明されますか?」。要は、大切なものを残していくためには家族の間でコンセンサスが取れていることが大変重要になるわけですが、酒井田家では、ご家族が同じ方向を向いていて、世代交代もスムーズに進んでいるように思いますね。

柿右衛門:確かに、揉めたことはないですね。私などはきょうだいが妹ばかりということもあり、物心ついた頃から「あなたが継ぎなさい」とずっと言われ続けてきましたから(笑)。

小谷:家族や周囲の方々に「そうなるんだよね」という暗黙の了解がある。やはり、そこがポイントかなと思います。そのためには下地づくりが大事です。やきものにたとえるなら、「練り」の段階でしっかり土をならしておかないと、焼成した時に割れたり、ひびが入ったりしてしまうじゃないですか。相続もそれと同じで、家族のベクトルを合わせる地ならしが重要で、そこで家族間のコミュニケーションがしっかり取れていないと、いざ相続の時に亀裂が入ってしまうのではないかと思いますね。やきものの話になりましたので、先ほどお話に出てきた濁手についてもお伺いできたらと思います。七代以降途絶えていた濁手を、約240年ぶりに再現されたのでしたね。

柿右衛門:はい、昭和の時代に十二代と十三代が。数年がかりで、それこそ材料を揃えるところから始めたそうなので、だいぶ苦労したのではないかと思います。十三代は私の祖父ですが、生前あまり仕事の話をしたことがなく、詳しい経緯はよく分かりません。ただ、今思えば、実に良いタイミングで、良いところに目を着けたものだと頭が下がります。濁手は我々の原点です。職人たちにとっても納得しやすく、モチベーションも上がったのではないでしょうか。

小谷:素人の私から見ても、あの濁手の乳白色は秀逸ですね。赤絵とのバランスも絶妙です。心が落ち着くような印象を受けます。

柿右衛門:ありがとうございます。私も、大変色映りのいい地肌だと思います。実は、昔の有田焼の白磁は青みが強かったんですよ。「泉山」という有田の陶石の特徴でもあるんですが。そういう青みを帯びた白磁が当たり前の時代に、乳白色の白磁のやきものができたということで、たちまち人気になりました。色絵の赤には、青い白磁よりも同系色の濁手の方が合いますしね。

本人が不在の相続をつつがなく進めるには、
記録を残して思いを正しく伝える必要があります。

対談風景3

小谷:濁手を再現するに当たっては、『赤絵之具覚』『土合帳』といった酒井田家に伝わる昔の文書を参考にされたのですよね。こうした記録が有効なのは、実は相続も同じです。相続では2つの記録が大事です。1つは、自分がどんな財産を持っているかの記録。インターネット上の取引などは家族が知らない場合もありますから、本人不在の相続では見逃されてしまう可能性があります。もう1つが、なぜこういう遺産分配にしたのか、あるいは一族にこういうレガシーを残してほしいといった思いの記録。相続は身内の問題だけに中には感情的になる人もいますが、亡くなった人の思いの記録は、波立った相続人の心を穏やかにする効果が高いんです。そういう意味でも、記録を残して正しく伝えることは大事だなと濁手の話を通じて改めて思った次第です。やきものの世界では、皆さん、こうした記録を残されるものなのですか?

柿右衛門:それは人によりますね。私の父の十四代などは全く残してくれませんでした(笑)。『土合帳』や『赤絵之具覚』を残したのは五代です。五代が病気で亡くなった時、六代は1歳だったそうです。六代には後見人がいたそうですが、五代としては記録を残さざるを得ない切羽詰まった思いがあったのではないでしょうか。

小谷:十四代に対して、「これくらいは残しておいてほしかった」というものはありますか?

柿右衛門:そうですね。仕事のことはともかく、面識のない親戚もいるので、「この人は誰の関係の人です」といった個人的な知り合いの記録が残っていたらありがたかったですね。

小谷:柿右衛門さんはまだご自身の相続を考えるような年齢ではないと思いますが、伝統技術の承継者として十六代にこんなことを伝えておこうといった計画はお持ちですか?

柿右衛門:父が今の私くらいの年齢だった頃、私は20歳になっていましたが、十六代候補の息子はまだ小学生です。いつまで見ていられるか分からないので、技術的なことは早めに習得させる環境づくりをしておく必要があります。一方、将来十六代を支えてくれるのは、これから入ってくる職人ということになります。そうした未来の職人を育成するのが私の代の職人ですから、私は、柿右衛門窯の技術をしっかり次世代に伝授することができる職人を育てていかなければならないということも強く感じています。

最も重要な役割は江戸時代から続く窯を、
高いレベルを維持したまま次世代に引き継ぐこと。

対談風景4

小谷:なるほど。さて、柿右衛門さんはご自身も作家であり、デザイナーでもあり、そしてチーム柿右衛門のリーダーでいらっしゃると同時に、柿右衛門窯の経営者でもあります。経営者として今どんなことをお考えになっていらっしゃるかもぜひお伺いしたいですね。

柿右衛門:私にとっては、窯の経営者というのが最もプライオリティの高い仕事です。江戸時代から続く分業体制の工房を高いレベルを保ったまま維持して次世代に引き継ぐ。そこが一番大事だと思っています。個人の作家として評価していただくのはうれしいことですが、それは“本業”ではないので。

小谷:そういう意味では、今後を見据えて、どんな経営戦略を立てていらっしゃいますか?

柿右衛門:今考えているのが、いろいろな商品をぱらぱらと出していくのではなく、吟味したデザインのものを体系づけて作っていくことです。加えて、近年は新しい食文化や食器のスタイルが出てきているので、それに対応した、今しかできないラインアップを提案していけたらと思います。

小谷:それは楽しみですね。本日いろいろお話をお伺いして、酒井田家は大変素晴らしいDNAをお持ちで、その結果、柿右衛門窯という事業が400年にも渡って持続されてきたのだなということを強く感じた次第です。代々の柿右衛門さんが技術力を点検しながら、例えば、十二代と十三代なら濁手の再現であったり、十四代なら欧州に渡った柿右衛門様式の作品の研究であったり、その時代に合ったチャレンジをなさってきた。今風に言うならPDCA(Plan・Do・Check・Act)サイクルが非常にうまく回っている状態で、それが柿右衛門窯のサステナブルな経営を支えているように思います。振り返って今の相続の世界を考えると、遺産相続が中心になったがゆえに、酒井田家のように一族で大切なものを伝えていくとか、その大切なものに先代と一緒に取り組むといったことがなくなり、その結果、体調が悪くなってから法律に則った遺言書を書いても、なかなかうまくいかない。後継者に対して相続というものをどう捉えるかをしっかり教えておかないと、いざという時に対応できません。私は、こういう時代だからこそ継いでいくための「相続教育」が必要だと考えています。さて、柿右衛門さんが2014年2月に十五代柿右衛門となられてから、8年が経ちました。これから十五代としてどのようにご自分らしさを出していかれるのか、今後の抱負をお聞かせください。

柿右衛門:当面は、窯の食器と、個人の作家として制作している濁手と、車の両輪のように2つの活動を続けていけたらと考えています。「使う食器」と「見せるための濁手」ですね。濁手の方は自分の思いを優先して、つくりたいものを貪欲につくっていきたい。一方で、窯の食器の方はある程度間違いないデザイン、このモチーフならこの描き方でいいだろうというものに絞って展開していくつもりです。濁手も8年やってきたので、そろそろ食器の方に展開してもいいかもしれません。

小谷:柿右衛門窯としては食器をベースにやっていかれるわけですね。近年は日本の「おもてなしの心」が海外で評価されていますが、私は、それを一番身近に感じるのが食文化であり、食器文化であるように思います。「マイ茶碗」や「マイ湯飲み茶碗」を持つ人が増えていますし、お客さまをおもてなしするために食器を選ぶといった日本の文化は今後、海外でも広がっていくのではないでしょうか。柿右衛門は江戸時代から欧州の貴族を魅了した、いわば日本のやきものの輸出のフロントランナーですから、今後もクールジャパンのトップランナーとしてご活躍されることを期待しております。本日は長時間、ありがとうございました。

柿右衛門:ありがとうございました。頑張ります。

(※この記事は2022年8月に行った対談をもとに作成しております)

対談風景5

Profile

陶芸家

十五代酒井田柿右衛門

1968年佐賀県有田町生まれ。多摩美術大学にて日本画を学ぶ。1994年、十四代酒井田柿右衛門に師事し、柿右衛門窯入る。2013年、重要無形文化財保持団体「柿右衛門製陶技術保存会」会長に就任。翌年2月、十五代酒井田柿右衛門を襲名。『団栗文』や『唐梅文』など、伝統ある濁手の中に新しい題材を加えるなど、当代ならではの絵付けを施すことで、柿右衛門の原点と現代への調和を考えた器づくりに挑戦している。

三菱UFJ信託銀行 MUFG相続研究所所長

小谷 亨一

三菱UFJ信託銀行 トラストファイナンシャルプランナー。1級ファイナンシャルプランニング技能士、宅地建物取引士。2012年にリテール受託業務部長に就任し、約5年にわたり遺言の企画・審査・執行業務などに従事。2020年2月より研究所所長。現在、相続・不動産のエキスパートとしてセミナー講師を務める傍らメディアでも活躍している。

MUFG相続研究所
人生100年時代における社会課題(認知機能低下時の資産管理や資産承継等)の領域に関し、MUFGの蓄積してきた知見を生かしながら調査・研究を行う。2020年2月設立。

※MUFG相続研究所は、三菱UFJ信託銀行が、資産管理・資産承継に関する調査・研究・レポート作成等の業務を対外的に行う際の呼称です。