コラムVol.129 真面目に考える『投資の必要性』 第16回 何故、日銀はデフレ脱却に失敗したのか?

2021年12月10日
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荒 和英 (あら かずひで)
1982年三菱信託銀行(当時)入社。1985年より為替ディーラー、ファンドマネージャー、エコノミストなど、資産運用の最前線で投資業務に携わる。25年以上にわたるキャリアを生かして、2011年からマーケットレポートの執筆や投資に関するセミナー講師、TV出演(BSジャパン「日経モーニングプラス」)や執筆活動(『資産活用いろはかるた“い”の巻、“ろ”の巻』)などを精力的に行っている。

「金利立てれば物価が立たず (元句:あちら立てればこちらが立たず)」

今や年末の風物詩となった感がある流行語大賞ですが、数年経つとピンと来なくなる言葉も少なくありません。たとえば2013年の場合、大賞の「今でしょ!」「お・も・て・な・し」「じぇじぇじぇ」「倍返し」やトップ10の「アベノミクス」はともかく、候補語入りした「3本の矢」は・・・。ここで簡単に「3本の矢」を振り返ると、「『第1の矢』の大胆な金融政策」でデフレ脱却、「『第2の矢』の機動的な財政政策」で景気回復、「『第3の矢』の民間投資を喚起する成長戦略」で規制緩和を進め、持続的な経済成長を目指すというのがアベノミクスの謳い文句でした。しかし、金融政策とデフレ、どのような関係があるのでしょう?

図表1 物価変動と日銀金融政策の関係
図表1 物価変動と日銀金融政策の関係

日本のお金を管轄している日本銀行(日銀)は、図表1左側のお金の価値を変動させることで、右側の物の値段(物価)へ影響を与えます。当たり前の関係ですが、AとBの交換レートは、Aの価値が下がれば相対的にBの価値が上がり、Aの価値が上がればBの価値は下がります。お金と物の交換レート(物の値段)も同じで、お金の価値を下げれば物の価値は上がり(値上がり)し、お金の価値を上げれば物の価値は下がる(値下がりする)という関係。それでは、日銀はどのようにお金の価値を変動させるのでしょう?伝統的な方法は政策金利の変動で、金利を上げればお金の価値は上昇し、金利を下げればお金の価値は下落するため、デフレ脱却へ向けて物価を上昇させる方法は政策金利の引き下げだったのですが、2013年当時はゼロ金利政策であったことから、量を増やすことでお金の価値を下げようとする「異次元の金融緩和」政策が実施されました。この量的金融緩和の狙いは、作物が豊作になると値下がりするように、お金も量が増えると価値が下がることにあります。

図表2 2012年後半〜2013年の日経平均株価・ドル円相場
図表2 2012年後半〜2013年の日経平均株価・ドル円相場

出所:日本経済新聞社、FRBデータより三菱UFJ信託銀行作成

日銀が異次元の金融緩和を開始すると大量に増えた円の価値が下落し、図表2のドル円相場は急速に円安が進んだことから、円安の恩恵で自動車など輸出産業の業績改善期待が高まり、日経平均株価も大きく上昇しました。このように、アベノミクスは為替や株式市場に大きなインパクトを与えましたが、肝心な物価上昇は限定的でした。何故、第1の矢はデフレ脱却という的を外してしまったのでしょうか?

「日銀吹けども踊らず (元句:笛吹けども踊らず)」

理論的にはお金の価値を変動させることで日銀は物価の調整が可能ですが、実際に物を買うのは消費者であるため、物価を動かす直接の原動力は消費行動の変化になります。それでは、何が消費行動を変えるのでしょう?ここで重要な役割を果たすのが消費者の心理であり、多くの消費者が本気で予想すれば実際にインフレになるという理屈です。

図表3 社会心理学「予言の自己成就」の事例
図表3 社会心理学「予言の自己成就」の事例

個人の場合は本気で予想しても実現する保証はありませんが、大人数の集団になると、社会心理学の「予言の自己成就」という不思議な力が働く点に注意が必要です。たとえば、図表3@のトイレットペーパー品切れというお馴染みの騒動が起こる背景は、「品切れするとの噂」→「念のために買う」→「品薄になる」→「品薄を知って買う人が殺到」→「実際に品切れ」という、集団における消費行動の変化が原因と言われています。同様に、図表3Aの「消費者がインフレ予想」→「値上がり前に買い溜め」→「物価が上昇し始める」→「買い急ぐ人が増える」→「実際に物価上昇」のように、多くの消費者の行動が変わることで本当にインフレがやってくるという理屈。逆に言うと、巨大な日本経済を動かすためには、まず人々の心理を変えることが重要なのです。

図表4 消費者物価指数(生鮮食品を除く、消費税調整済)と消費者物価見通し
図表4 消費者物価指数(生鮮食品を除く、消費税調整済)と消費者物価見通し

出所:総務省統計局、内閣府「消費動向調査」データより三菱UFJ信託銀行作成

図表4を見ると、異次元の金融緩和を背景に円安が進んだ2013年は、輸入品が値上がりする円安効果で物価上昇が続いたものの、2014年4月に消費税率が引上げられると、物価上昇率(消費増税分を差し引いた上昇率)は再びゼロ近辺まで低下しました。この物価頭打ちの直接の原因は消費税率引上げですが、もう一つの重要なポイントは、物価変動の背後に潜む消費者の物価見通し変化と思われます。何故なら、2013年に高まった図表4の物価上昇見通しが消費税率引上げ前にピークを打った後、「物価上昇は続かない」とのデフレ予想が根強い中で、図表3Bのように実際の物価上昇も短命で終わってしまったから。つまり、日銀が放った第1の矢は為替や株式投資家の心を打ち抜いたものの、肝心な消費行動を大きく変えるには至らなかったということ。それでは、前回「『デフレ脱却』で、我々はハッピーなのか?」で紹介した「貯蓄から投資へ」というスローガンは、人々の行動を変えたのでしょうか?次回は、これも2013年流行語大賞の候補語入りした「NISA(ニーサ・少額投資非課税制度)」について考えてみます。

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