コラムVol.77 地方クリエイターの仕事とお金の話8「物理的な距離」

2020年9月8日
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平川らいあん (ひらかわらいあん)
ゲームクリエイター、シナリオライター。大手ゲーム会社でゲームディレクションを多数手がけ、その後独立。株式会社Megg(ミグ)代表取締役。独立後は複数の会社のゲーム開発に携わる。専門学校にて企画シナリオ講師やゲームを題材とした小説の執筆も行う。「お金の、育て方」内で配信中の「信託クエスト」のシナリオを担当。著書に「ゲームシナリオの教科書 ぼくらのゲームの作り方」、「ゲームプランとデザインの教科書 ぼくらのゲームの作り方」(ともに共著・秀和システム)がある。

物理的な距離

ゲームクリエイターの平川らいあんです。2017年に20年過ごした東京から地元、九州の宮崎県宮崎市にUターンしました。地方クリエイターとなった私が地方での仕事とお金のお話しをさせていただいております。今回で第8回目。前回までは、地方に拠点を移した理由と実際に移住してからの変化をお話しさせていただきました。

ゲームの仕事を続けながら、新しい試みとしてボードゲームが遊べるカフェを開店しました。ボードゲームカフェには、たくさんのお客様に来ていただきました。しかし、ボードゲームカフェの広さからこれ以上の売り上げは見込めず、お客様が増えると開店時間以外にも手を取られるようになり、ゲームの仕事の時間が削られていきました。
ゲームの仕事については、うちは小さな会社ですので、受託がほとんどです。宮崎の会社からのゲームの仕事はなく、すべて東京からの仕事でした。東京と宮崎で、リモートでできる資料作成やシナリオなどを受けていました。単発の仕事が多いため、収益は安定せず、売り上げは東京の時の3分の1以下になっていたのです。

このまま続けて大丈夫だろうか。そう迷っている時に大規模なゲームの開発依頼が来ました。そこで思い切って、ボードゲームカフェを閉じ、ゲームの開発に集中することを決意。収益が安定したら事業の規模を少し大きくして、広いボードゲームカフェやゲームイベントを本格的にやろうと考えたのです。
こうしてお店を閉じ、ゲーム開発をして数か月。開発は順調に進んでいたと思われたのですが、なんと!突如開発が中止になってしまいました…。しかしこれは突如という訳ではありませんでした。情報が届いてなかったのです。これは東京と宮崎で距離があったために起きたことでした。

クライアントや開発メンバーとは、チャットとテレビ会議でやり取りをしていました。いわゆるテレワークです。

テレワーク

新型コロナウイルスの影響でテレワークが急速に広がりましたが、以前よりテレワークをしてきた私の体験と気を付けるべきことをまとめました。参考になれば幸いです。

リモートワークで分かったこと

私は東京にいる時から、もう8年ぐらい前からテレワークを実施していました。チャットで指示を出したりデータの受け渡しを行ったりして、ゲームの開発をしておりました。タスクを洗い出し、スケジュール表をしっかりと作ることで問題なく進行できていました。
それでもやはり週1、2回は全員集まって打ち合わせを行っていました。私は、ディレクションをしていることが多かったのですが、ディレクションは現場のまとめ役。ネットやテレビ電話が普及していてもメンバーへの「温度感」が伝わらなかったのです。具体的には、どこに力を入れるのか、ユーザーにどう遊んでもらいたいのか、集まって話をして意識を合わせることが重要でした。
また、ゲーム開発は、立ち話や雑談で大切なことが決まることも多いのです。テレビ電話だと大勢が参加していても1人が話をしている形になり、みんなでワイワイ雑談することはありません。話が広がったり膨らんだりすることが少ないため新しい発想が生まれにくかったのです。

東京にいた頃は、何か大きな問題あった場合、すぐに集まってみんなで解決していました。今回の開発中止も先方の社内では協議が繰り返されたはず。突如に思えたのですが、その情報や温度感が届いてなかったのです。東京に住んでいたら、そんな状況になっていたら、直接会って打開策を一緒に模索したでしょう。
テレワークでできる仕事であっても、やっぱり会うことが重要。物理的な距離があると呼ぶのは気が引けると気を使って、会って解決しないうちにいつの間にか問題が大きくなっていたのです。物理的な距離があると、情報や温度感が伝わりにくいことが分かりました。

大規模なゲームの開発が中止になってから、東京から新たに大きな案件の話が2つ来ました。しかしどちらも条件として、半分常駐でした。ゲーム業界の状況も変わり、規模が大きい案件が増えており、近くにいることが求められるようになっています。いただいた案件は、仕事内容も面白いし、収益の事も考え、東京に戻るかまで悩みました。
それでも、まだ宮崎でできることがあるんじゃないか。ここで東京に戻ったら宮崎に来た意味がなくなってしまう。宮崎に戻ってきて多くの人に知り合い、飲みにいったり、ジョイフル(宮崎で一番有名なファミレス)で深夜まで話したり楽しく過ごしています。宮崎に残りたい。こうして宮崎でやっていく道を再度模索してみることにしたのです。次回詳細をお話しします。

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