コラムVol.91 敵は本能にあり:へそ曲がりの『投資の考え方』第5回 何故、相場はゆっくり上がり、急に落ちるのか?

2020年12月15日
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荒 和英 (あら かずひで)
1982年三菱信託銀行(当時)入社。1985年より為替ディーラー、ファンドマネージャー、エコノミストなど、資産運用の最前線で投資業務に携わる。25年以上にわたるキャリアを生かして、2011年からマーケットレポートの執筆や投資に関するセミナー講師、TV出演(BSジャパン「日経モーニングプラス」)や執筆活動(『資産活用いろはかるた“い”の巻、“ろ”の巻』)などを精力的に行っている。

「切るは一時の損、切らぬは一生の損(元句:聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥)」

江戸時代の米相場から生まれた相場格言は、「損切り」に関する数多くの教えを今に伝えています。「損切り(ロスカット)」とは、含み損(ロス)を抱えている時に売却して損失を確定させる行為であり、日本の「損切り万両」「損玉を決断早く見切ること、これ相場の神仙と知れ」やウォールストリートの「Cut your losses short」など、古今東西を問わず、相場格言は素早い損切りの重要性を説いています。それでは、何故、損切りは重要なのでしょう?何故、急いだ方がよいのでしょう?

相場格言が損切りに注目するのは、損を抱えない投資家はおらず、損切りの巧拙が最終損益を左右するからです。特に短期投機の場合、前回「短期投機と長期投資は、何が違うのか?」で説明したように、失敗した時に「鳴かぬなら殺してしまえ」と素早く見切ることが、次の売買へ向かう新たな一歩。具体的に言うと、図表1のように売買1回当たりの損失を利益と同額に抑えれば、勝率5割で合計プラスマイナスゼロ、勝率5割以上になると儲けが出る上に、売買を増やせば増やすほど儲けは積み上がります。このように、素早い損切りで毎回の損失を抑えつつ、回転売買を繰り返し、儲けを増やすことが短期投機の基本戦略です。しかし、短期投機を行う際は、リーマン・ショックや新型コロナ・ショックのような急落相場の中、この基本戦略を続けられなくなる危険性に注意が必要です。

図表1 短期投機の基本戦略
図表1 短期投機の基本戦略
図表2 米国株式NYダウの長期推移(月次、2020年10月末現在)
図表2 米国株式NYダウの長期推移

出所:YAHOO FINANCEデータ、各種情報より三菱UFJ信託銀行作成

「登り百日、下げ十日」という相場格言の通り、図表2のNYダウ長期推移は、ゆっくり続く上昇局面(登り百日)の後に急落する(下げ十日)という変動パターンが続いています。このようなパターンに対し、「買いの迷いは見送り、売りの迷いは即刻売り」「売りは迅速、買いは悠然」などの相場格言は、ゆっくり続く上昇局面での買いに慌てる必要はないが、急落リスクの高い下落局面の売りは一刻を争った方がよいと警告しています。何故なら、損切りが遅れ急落相場に巻き込まれると、損失が一気に膨れ上がり短期投機の回転売買が止まってしまうから。それにしても、この相場変動パターンの原因は、一体何なのでしょう?

「見ざる聞かざる切らざる(元句:見ざる聞かざる言わざる)」

今回は「行動経済学」の理論を借りて、相場変動パターンの原因を探ってみます。行動経済学とは、人間が必ずしも合理的に行動しない点にスポットライトを当て、身近な経済活動の謎を究明するユニークで新しい経済学です。その研究によると、多くの人間は似たような行動パターンを繰り返しており、この行動の癖を「バイアス(傾向)」と呼びます。そして、ゆっくり上がり、急に落ちるという相場変動パターンの陰には、図表3の「損失回避バイアス」が隠れているのです。

図表3 「行動経済学」の「損失回避バイアス」
図表3 「行動経済学」の「損失回避バイアス」

損失回避バイアスとは「大きく儲かる可能性より、できるだけ損が小さくなる方を選ぶ」癖のことですが、まず【設問1】を考えてみましょう。「A:無条件で10万円貰える」と「B:コイン投げを行い、表なら20万円貰えるが、裏なら一切貰えない」の2つの選択肢、皆さんならどちらを選びますか?次に、支払い側に回る【設問2】の「C:無条件で10万円支払う」と「D:コイン投げを行い、表なら支払い無しだが、裏なら20万円支払う」であれば?この【設問1】のAとB、【設問2】のCとDの計算上の期待値(平均的に貰える金額)はそれぞれ同じ(AとBは+10万円、CとDは−10万円)ですが、【設問1】はB(コイン投げ)よりA(無条件で貰う)、【設問2】はC(無条件に支払う)よりD(コイン投げ)を選ぶ人が多いという調査結果が出ています。そして、この「貰える時は素直に貰うが、支払う時は免れようとジタバタする」傾向が損失回避バイアス。それでは何故、損失回避バイアスが働くと、相場はゆっくり上がり、急に落ちるのでしょう?

相場が上昇すると、儲かった投資家が素直に利食い売りを出すことで上昇スピードは遅くなりますが、一旦売った投資家が再び買うことで上昇局面は長引きます。一方、相場が下落しても、損を抱えた投資家は「もう少し様子を見よう」「損切りでなく買ってみよう」とジタバタし、損切りせずに買いポジションを持ち続けるため、新型コロナ感染爆発のようなショックが起こると、一斉に損切り売りが出て相場は急落してしまうのです。逆に言うと、ゆっくり上がり、急に落ちるという相場変動パターン自体が、利食いを急ぎ、損切りを後回しにする損失回避バイアスの影響力を示す証拠。損失回避バイアスに対し、相場格言は「利食い急ぐな、損急げ」とシンプルな対処法を示していますが、バイアスという習性に逆らう行動は口で言うほど簡単でないことから、「買い上手より売り上手」「素人は買い、玄人は売り」が示唆するように、利食い/損切り売りという特別な技量が求められる短期投機へ下手に手を出さない方が無難なのかもしれません。次回は、損失回避バイアスと同様に、相場の短期変動へ大きな影響を与える様々なバイアスについて考えてみます。

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